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視る、観る、察る

こんにちわ

 

カウンセラーの足立です。

 

最近、論語について触れる機会がありまして、

このような一節に出会いました。

 

「子わく、もってするところところやすんずるところさっすれば、ひといずくんぞかくさんや、ひといずくんぞかくさんや。」

 

こちらの一節を2024年にお札の絵柄になる渋沢栄一は以下のように解釈しております。

「孔子の人物観察法は、視・観・察の三つをもって
人を鑑別しなければならないというところに特徴がある
まず第一に
その人の外面に現れた行為の善悪正邪を視る
第二に
その人のその行為の動機は何であるかをとくと観きわめ
第三に
さらに一歩を進めて
その人の行為の落ち着くところはどこか
その人は何に満足して生きているかを察知すれば
必ずその人の真の性質が明らかになるもので
いかにその人が隠しても隠しきれるものでない」

 

人の行いをみる時に、最初は表面的な行動を視て、

次に、なぜそうしているのかを観る、

ここまではよく考えますが、さらにそこから、

その人が何に満足したり、安心するのかを察ると、

その人の真の性格がわかるという見方はとても新鮮でした。

 

一生懸命に努力している人、

その理由が仲間のために、家族のために、世の中のために、など大義名分があったとしても、

その人の真に求むるものが、褒められることや、周りから認めらること、矮小な心を隠すことなどだとしたら、

本当に良き人とは言えないのかもしれません。

 

自分自身を察ることは、なかなか簡単なことではありませんが、

論語から大切な姿勢を学びました。

 

ただ完璧な人はおりませんので、

独りで考えるよりも、互いに察合いながら支え合っていければと思います。