視る、観る、察る
2019年11月1日
こんにちわ
カウンセラーの足立です。
最近、論語について触れる機会がありまして、
このような一節に出会いました。
「子曰わく、其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや。」
こちらの一節を2024年にお札の絵柄になる渋沢栄一は以下のように解釈しております。
「孔子の人物観察法は、視・観・察の三つをもって
人を鑑別しなければならないというところに特徴がある
まず第一に
その人の外面に現れた行為の善悪正邪を視る
第二に
その人のその行為の動機は何であるかをとくと観きわめ
第三に
さらに一歩を進めて
その人の行為の落ち着くところはどこか
その人は何に満足して生きているかを察知すれば
必ずその人の真の性質が明らかになるもので
いかにその人が隠しても隠しきれるものでない」
人の行いをみる時に、最初は表面的な行動を視て、
次に、なぜそうしているのかを観る、
ここまではよく考えますが、さらにそこから、
その人が何に満足したり、安心するのかを察ると、
その人の真の性格がわかるという見方はとても新鮮でした。
一生懸命に努力している人、
その理由が仲間のために、家族のために、世の中のために、など大義名分があったとしても、
その人の真に求むるものが、褒められることや、周りから認めらること、矮小な心を隠すことなどだとしたら、
本当に良き人とは言えないのかもしれません。
自分自身を察ることは、なかなか簡単なことではありませんが、
論語から大切な姿勢を学びました。
ただ完璧な人はおりませんので、
独りで考えるよりも、互いに察合いながら支え合っていければと思います。